人間性を取り戻す:文章療法(心理療法としての読書記録)

仕事をしばらく休むことになった。

 

普通に働いている間から、YouTubeや映画は見ることが難しくて(見る気力がどうしても起きない)、本も御多分に漏れずでしばらくは全く読めていなかった。

※仕事のストレスを恐怖とぶつけられるからか、竹書房怪談文庫の本は読めていた。一時期、本当におかしくなるのではというくらいひたすら竹書房怪談文庫を読んでいた。竹書房、ホラー作家の皆様、kindle unlimitedに心から感謝します。

 

休職して3か月ほどは目が滑るわ集中できないわでなかなか本に手が伸びなかったが、暖かい日が増えるにつれ何とか読めるようになってきた。
仕事と社会に適応するために"社会人"の型に押し込めていた自分がそれこそ啓蟄のころの虫のように、おそるおそる姿を現し始めたこの感じ。

 

5年間の労働の間に抑圧されきり、緊張感と責任感と無力感とプレッシャーの影に隠れてしまった自分の本当の人間性を取り戻したい。

 

そのために、すこしずつ本を読むことにした。
子どものころから本当に、本を読むことが好きだということだけは自信があり、だれにも何も言わせないと思っていたから。

まだまだ映画やドラマやYouTubeやらには手をのばせそうにない状態だけれど、本なら少しずつ読めるようになってきた。
それがうれしいのとともに、なんだか少し誇らしくて、小学校の図書室に通っていたころの気持ちを思い出した。
そんな時間も余裕もないし少しでも睡眠時間に充てたいよと思って、いままで読書記録をつけたいのにつけてこなかったことを思い出した。

自分の中に、誰かから言われたことでもなく、ただ自分がやりたいからやりたいという感情があることに驚いて、とりあえずノートを用意して記録を取り始めた。
記録といっても、タイトル、著者、発行年と自分に響いた内容を書き記すだけ。
自分の感想を併記してしまうと後から見返すのが苦痛になるし、その時の精神状態によって書ける/書けないのブレが生じる気がするので、感想は書いていない。
あくまでシンプルに、大切にしたいものをしまい込む小箱のような記録帳である。
自分のコンディションや気分の無慈悲な揺れに関係なく、無心で好きな言葉や文章を書き写していくのは、どこか瞑想のような心理療法のような癒しの手段でもある気がしている。

 

治療によるところも大きいと思うが、ある程度回復してきたのではないかと思える状態になってきたので、読書記録というより感想記録をこのブログでしていこうかなと思っている。
文章を書くのは好きだし、しばらく(5年以上)自分の気持ちを多分に含んだ文章を書く機会なんてなかったし、何よりインターネット上であれば消したいときにすぐ消せるので…。

 

※この記事のタイトルはAIが考えてくれました。かわいいね。