別れに寄す 苦悩を突き抜け歓喜に至りたい話

お披露目から3年間、雪組を見続けた日々は本当に充実していた。楽しかった。

自分語りを多分に含みつつ、雪組の一時代の終わりを惜しもうと思う。

 


望海さんトップ時代にお芝居で重い話が多かったのは、望海さんの持つエネルギーが、もがき善く生きようと苦しむ1人の人間を表現できるからに違いない。

シングルキャストで東西での公演を、大きな劇場でもがき苦しむ様をやり切れてしまう望海さんのパワー。

ご本人はとても自然体でキュートなのに、どこにあのパワーを秘めているのか永遠の謎である。

どんなに疲れていても悲しくても、2階席の1番後ろの端にいても、劇場で望海さんの歌声を浴びればそのエネルギーをもらうことができた。あ、生きようと自然と思えた。

真彩ちゃんは持ち前の気骨と生命力と朗らかさで望海さんのエネルギーとキャッチボールをする1人の人間を演じられる稀有な存在だった。

歌が本当に素晴らしいのは言わずもがなだけれど、それ以上にエネルギーとパワーを以って1人の人間と人間として向かい合えるコンビだったように感じる。

宝塚という夢の世界で、夢を崩さずに、もがき苦しみ生きる1人の人間同士の生き様を表現できるトップコンビが率いる組だったからこそ、私はだいきほ体制の雪組がたまらなく好きだった。

 


凪様。凪様のことを考えると、思い出されるのはあのあまりにも深くて真摯な眼差しで、思い出しただけで記憶の中の瞳に吸い込まれて言葉を失ってしまう。

その瞳の深さにいつも覚悟のようなものを感じて、ただ美しいという言葉では表現できない、ピンと張った線のような緊張感と高揚を勝手に感じていた。

初めて凪様を見た時の、こんなひとが存在するのかという衝撃が忘れられない。

どんな言葉も彩凪翔という男役を表現するに値しない。美しいという言葉でさえ、凪様を凪様たらしめるものが何たるかを表現できない。

どこまでも真っ直ぐで深い、纏う空気が他の誰とも違う凪様。

宝塚の舞台の上に息づく姿は本当に、息をするのを忘れるほど素敵だった。

 


いつも全身全霊を込めて働く英雄。

それはまさしく望海さんであり真彩ちゃんである。退団者の皆さんである。

全てのタカラジェンヌは全身全霊を込めて働く英雄だ。

生田先生が公演パンフレットに書いていたように、宝塚は世襲ではなく憧れが時代を紡ぐ世界だ。

血統も性別もなく、ただ憧れと夢のために全身全霊で、時には身を削って舞台に立つその真っ直ぐな覚悟とひたむきさが、いつもグズグズと生きる自分の背筋を伸ばしてくれる。

善く生きたいと願いながら、生活に押し流されて色々なことを妥協し諦めそうになる自分に、もがき苦しみ悩みながら生きることを思い出させてくれる。

私は宝塚とタカラジェンヌのそういうところがたまらなく好きなのだということを、退団公演で改めて感じた。

 


fffは人類讃歌だ。

ルートヴィヒは、自分の人生と向き合うことを通して人類の歩んできた道のり、苦しみと悲しみの歴史を見つめ、それでも彼女を抱きしめる。

私が自分の人生の中で、色々なことを受け入れて歓喜に至る道筋はまだまだ見えない。生活に押し流されて全てを諦めてしまいたいと思うことの方が多い。

それでも、これからはいつだってそんな時はfffが頭をよぎるだろう。人間が人間たり得るために言葉を光に変え、願いを行動で実現しようとし、もがき苦しみ見つけた心を音楽で伝える人たちの瞳が蘇るだろう。厳しい状況の中、諦めることなく誠実にひたむきにfffの世界を作っていた英雄たちのことを思い出すだろう。

耕し続ければ、いつかその耕された土地に作物が育ち、誰かが実りを得るかもしれないこと。

善く生きようともがき苦しむこと、苦しみと向き合うこと、諦めないこと。

その先でいつか歓喜に至ることができるのだと信じて。

 


退団者の皆様、ご卒業おめでとうございます。

どうかこれからの皆様の人生に、限りないひかりと幸せが降り注ぎますよう。